【転載】前川喜平氏と愛ちゃん〔法学館憲法研究所より〕

4月に刊行しました、『小説 司法試験 合格にたどりついた日々』(霧山昴〔ペンネーム〕著)が好評です。
さて著者・永尾廣久さんが、法学館憲法研究所WEB連載「今週の一言」
http://www.jicl.jp
で「河野学校」について書かれていますので転載いたします。

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前川喜平氏と愛ちゃん
2018年6月11日

永尾廣久さん(弁護士)

「河野学校」の衝撃
 今年のはじめ、FBを眺めていると、横浜の弁護士が佐高信の本を取り上げていて、そのなかで、前川喜平氏が「河野学校」の卒業生だと紹介しているのを知りました。ふうん、なんだろうね、河野学校って・・・.ところが、なんと、その校長の名前は河野愛という。ええっ、ひょっとして・・・。私は大学生時代、3年あまりセツルメント活動に没頭していました。川崎市幸区の古市場という工場労働者の多く住む住宅街で青年サークルに入って活動していたのです。同じセツルの法律相談部に愛ちゃんという大柄で明朗闊達なセツラーがいました。愛ちゃんは私と同じ年(1967年)に東大に入学し、2年生の6月から東大闘争がはじまり、一緒に試練をくぐり抜けました。愛ちゃんは東大で水泳部に所属していたのですが、川崎セツルメントに入ってきました。私は青年サークルで活動し、愛ちゃんは法律相談部です。セツルメントの合宿にも愛ちゃんは参加し、大学を出てからどう生きていくのか、民主的インテリとして社会にいかに関わるのか、夜を徹して真剣に議論していました。大勢のセツラーたちが司法試験を目ざし、弁護士あるいは裁判官になっていきました。青法協の会員のまま裁判官になった人も少なくありません。ところが、なぜか、愛ちゃんは司法試験を受験せず、文部省に入りました。その後の消息はまったくありませんでした。
 いったい「河野学校」って何だったのか・・・。私は、さっそく佐高信の本(『葬送譜』(岩波書店))をネットで取り寄せて読んでみました。まぎれもなく私の知っている愛ちゃんのことが書かれていたのです。惜しくも20年前に47歳のとき愛ちゃんは病死しました。文科省の一課長でしかないのに、葬儀には1500人もの参列者があったといいます。追悼集があることが分かりましたので、やはり元キャリア公務員であり、セツラー仲間だった友人に頼んで、なんとか追悼集を手に入れることができました。

面従腹背」、気骨ある文部官僚
 前川喜平氏は、著書のなかで自分のことを、多くの場面で自分の良心や思想・信条を押し殺して組織の論理に従わせてきた、文科省に入ったときから面従腹背だった、と書いています。
 ところが、愛ちゃんは、文部省のなかで、利益誘導を図るような仕事の仕方をなにより嫌い、権力のある偉い人にこびへつらうことを嫌いました。とてもまっすぐな人で、上司と衝突することも少なくなかったといいます。
 持病をもつ愛ちゃんは、独身を通しましたが、自宅マンションを知人や部下に開放して「サロン・ド・愛」と銘うって、議論する場をつくっていました。
 後輩が弱い者の心が分からない役人にならないよう導いていったのです。若き前川氏や寺脇研氏は、そのサロンの常連でした。キャリア官僚のほか、新聞記者や教授など10人ほどがワイワイガヤガヤ・・・。そのなかで、「文部省も変わっていかなくてはいけない。従来の文部省のタイプの人間ばかり利用しているようではダメ。斬新な発想を文部行政に反映させていかなくては」と愛ちゃんは、熱っぽく語っていたのでした。
 愛ちゃんはリクルート事件に直面したとき、「不正に対して自分の生き方でたたかっていく」と日記に書きしるしました。その正義感が許さなかったのです。
 前川氏は、教育行政官として必要な心構えは次の三つだとしています。
  一つ、教育行政とは、人間の、人間による、人間のための行政である。
  二つ、教育行政は、助け、励まし、支える行政である。
  三つ、教育行政とは、現場から出発して、現場に帰着する行政である。
 すばらしいです。前川氏は、改悪される前の教育基本法の前文を今でも暗誦できるそうです。先輩が、学校っていうのは勉強のできない人間のためにあるんだよと、前川氏にさとしたとのことです。
 弱肉強食の市場競争に子どもたちをさらさず、一人ひとりの学ぶ権利を保障する。これが教育行政の本来の使命だと前川氏は強調しています。まったく同感です。キャリア官僚のなかに、こんなに気骨のある人がいただなんて驚きです。佐川氏や柳瀬氏の臆面もない証言ぶりでがっかりしていましたが、救われる思いです。すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。憲法15条は、このように明記しています。現役の公務員の皆さんに前川氏に続けと叫びたい気分です。少なくとも国民にこそ目を向けてがんばってと励ましたいです。

セツルメント活動って何・・・?
 ところで、セツルメント活動って何ですかと問われると、たしかに困ってしまいます。一般にはボランティア活動だと紹介されることが多いのですが、ちょっと違うのです。イギリスに始まり、日本では関東大震災のあとに大学生による被災者救援活動から始まったとされています。
 東大では医学部生や法学部の学生が数多く参加し、我妻栄川島武宣も加わりました。ところが、その社会的活動が当局からは左翼的活動だと目をつけられ、戦前はついに逼塞してしまいました。
 戦後、よみがえるのですが、私の大学生のころは最盛期で、全国大会(全セツ連大会)になると全国から何百人も集まってきていました。
 その活動は、いま前川喜平氏が仙台と厚木の夜間中学校で教えていますが、あのイメージです。ただ、私たちは、地域での活動(私たちは「実践」と名づけ、絶えず「総括」していました)を通じて自分たちの生き方をお互いに問いかけるということを、とても大切にしていました。そこが、単なるボランティア活動と違うところです。週1回のセツラー会議で実践を総括して文章にし、その総括文集を持ち寄り、たびたび合宿して夜を徹して議論していました。
 セツルメントって、何も危険なサークルではなく、一定の思想でぬり固められた集団でもありません。元セツラーが警察庁長官とか検事総長になったり、自民党の代議士(平沢勝栄氏もセツル法相のOBです)になったりもしています。
 弁護士のなかにも大勢います。これまで14件もの無罪判決をかちとり、NHKが「ブレイブ」という特集番組を放映した今村核弁護士も元セツラーです。私の知る限り、日弁連元会長にも二人の元セツラー(本林徹氏と村越進氏)がいます。また、裁判官のなかにも元セツラーがたくさんいて、ときに気骨ある判決文を書いてくれています。たとえば原発差止裁判で活躍している井戸謙一弁護士もその一人です。

伊予の河野水軍の末裔
 最後に、愛ちゃんについて補足します。愛ちゃんは愛媛県出身。なんと河野水軍の総帥の末裔で、世が世なら河野水軍の御嬢様なんだそうです。
 河野水軍は伊予河野家の水軍部隊で、四国でもっとも古くからの存在、伊予水軍の頂点に立ち、村上水軍もその配下の一水軍なのです。全国にある八幡神宮の本拠である大三島大山積神社は河野家の神社でもあります。
 こんなことを二人の元セツラー(仁井陽正氏と園尾隆司弁護士)から教えてもらいました。


◆永尾廣久(ながお ひろひさ)さんのプロフィール

1948年 、生まれ(福岡県大牟田市
1972年 、東京大学法学部卒業
1974年 、弁護士(横浜弁護士会
2001年 、福岡県弁護士会会長
2002年 、日本弁護士連合会副会長
2011年 、日弁連憲法委員会委員長
弁護士法人しらぬひ・不知火合同法律事務所所長

著書多数。近著に『小説 司法試験 合格にたどりついた日々』(ペンネーム霧山昴著、花伝社)がある。

10年以上「霧山昴」
http://www.fben.jp/bookcolumn/
というペンネームで1日1冊の書評を福岡県弁護士会のHPに掲載している。

弁護士 永尾廣久のブログ
http://hnagao.blog77.fc2.com
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