ポストフクシマダイイチ

昨年に続き、予想通りの暑さになってきた。
花伝社では昨年まで3台使用していたエアコンも今年は1台、在庫僅少でようやく入手できた扇風機をフル活用して仕事をしている。唯一、事務所内で涼風の及ばないエリアにデスクのある代表平田は、ウチワでしのいでいる。スタッフ油井も、政府主導のとってつけたようなスーパークールビズでなく、さわやかな夏スタイルで書店さんにお邪魔をしている。東電や政府からヤイヤイいわれなくても、この夏は、花伝社もどこの会社も皆、自主的に節電営業中だ。

それにしても、メトロ駅のあちこちで目にする節電パネル電光掲示板(実際には遅延情報を流す電光掲示板らしい)はあきれる。わざわざ電光で知らせる必要のないものだろう。東電発表の何%という数字を目にするたびに、「ピーク時供給量」という素人にはよくわからない分母で、電気が足らないんだぞ、と脅されているような感じがする。
自宅にも節電のお願いの封筒がわざわざ入っていて、まるで節電すれば、全ての問題が解決するかのようなアピールだ。「原発が無くては電力が足らない」と喧伝されているが、しかしこれも何人もの識者の計算で、原発が1台も動かなくても停電にならないことが明らかにされている。

福島第一原発過酷事故からまもなく4ヶ月になる。新聞に載っていた、福島市の中学校の先生の投書が頭から離れない。
生徒のひとりが「福島原発、残りも全部爆発してくれたらいいのに」と言ったのに驚いて理由を尋ねた。生徒は「こんなのは、中途半端だ」という。「福島市を避難区域にすると、東北新幹線と高速を止めないといけない。そうすると日本経済が止まってしまうから、福島市はどんなことがあっても避難指定にできないんだ。僕たちは、モルモットなんだ」と。

中学生は、鈍い大人の有権者たちにいらだちと怒りを感じている。
それは、「まだわからないのか──、これでも放射能が見えないというのか、」という悲痛な叫びに聞こえる。「見えない恐怖」という陳腐な表現のひとつに過ぎなかった言葉は、フクシマ以降、動かしがたい現実のものとなった。

仮に政府が公言するように「ただちに健康に被害は無い」で、中学生が息を潜めて、外ではマスクをして、線量計をつけて、食べ物に気をつけて、戸外で運動もせず、大人になりそのまま100歳まで生き延びたとしても、「健康で文化的な」人生を送れたと言えるのか。

飯舘村で酪農家が、家族同様に暮らしてきた牛を残していかないといけない──。こんな報道にも接した。もし仮に、避難先にクーラー付きの大豪邸が用意されて、三食食事も出てきて、一生暮らしていける補償金が用意されていたとしても、別れの朝、牛の横で流れる涙は、札束ではぬぐえない。

人は食べていくために働くが、それだけではない。自立して働いている人間に、金や仕事や家を与えるからいいだろうというのは傲慢な態度だ。牛と共に働いている人たちは、大地や風景とも一緒に働いている。それは金ではかえることができない。

手塩にかけてきた畑が汚染され、有機栽培のキャベツが集荷停止になった翌日に命を絶った農家の方がいた。この無念はいったい誰がどうやって救うのか。
また、立ち入り禁止区域の遺体は、遺族すら近づけないほどの放射能にまみれて弔うことすらできない。放射能は目に見えないのに、大切な家族との最期の時間を奪い、遺族と分断する。

このように福島第一原発事故で、原発の問題は、エネルギー問題を越えた。
エネルギー源としての対象から外されたと言うべきか。高校生でも喫煙したら、高校野球選抜大会に出場できないのだ。原発はエネルギー供給源としての候補にあがれない。今の事故すら収拾できないのに、なぜ未来の安全を保証できるのか。原発は、まず避難している人たちすべてを家に帰れるようにし、水や土、海などの自然を元通りきれいにしないといけないはずだ。さらに今、現場で収拾に向けて働いている人たちや福島の子供達の内部被曝、牛や犬や鳥たちすべての生き物、さらに御遺体の汚染など、すべてを元に戻してから「再稼働」と言ってほしい。

今回の原発事故の人権侵害をしっかり検証したい。ポストフクシマ、原発はエネルギー問題でなくて人権問題になった。
(近藤)