【1月新刊案内】大窪一志著『自治社会の原像』
今日は節分ですね!
新年気分新たに、健康な一年をお過ごしください。
さて月は代わりましたが、まだまだ1月の新刊をご紹介いたします。
大窪一志著『自治社会の原像』
帯には
近代社会の底に息づく「実存社会」の原理と生命力 バーク、プルードン、ヴェブレン……柳田國男、権藤成卿、今西錦司…… ーロッパと日本の近代思想の中から脱近代の自治社会像を再発見し、現代の生命科学、進化論、場の理論、社会組織論から基礎づけ直す。多重多元の連合協同社会をめざし 再生の社会哲学を求めて
とあります。本格的な社会論です!!!
著者は在野で研究を続けてこられた方ですが、日本の現代思想界に超巨大隕石級の一石を投じる内容になっています。
近代日本を支えた原理が、行き詰まりを迎えている現代。
「新しい中世」という状況が生じていると言っても過言ではありません。
「近代原理を貫こうとすると、それがめくりかえって逆流してしまう(あとがきより)」、
そんな状態だからこそ、<自治社会>を今こそ問い返し、新たな社会像を提示しようとする試みです……
私のつたない説明よりも、ぜひ本文を読んでいただきたいです!!!
以下大窪さんのTwitterより
『日本自治社会の原像』第1章「社会の解体と再生」書き上げたが、「社会」のとらえかたが近代社会観と異なるので、そこを説かないと誤解される可能性がある。そのため、どうしても歯切れが悪くなったところがあるなあ。次章で近代社会観の批判と転換を論じよう。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 6月 19
『自治社会の原像』テンニースについて書き上げ、バークの章に入った。この章のために、シェークスピア『ジュリアス・シーザー』を再読。古代ローマと現代とに共通する「市民社会という名の大衆社会」と「至上の権としての政治権力」との関係について、シェークスピアの深い洞察!
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 6月 30
『自治社会の原像』、バークの「自然社会と人為社会」の項を書き上げた。エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』がバークの論と共通していることを書いた。そこに保守・革命の差はない。絶対王権から人民主権論への移行期、モナルコマキの頃に出てきた議論は重要なのに日本では軽視されている。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 7月 4
やっぱり思い直してエアコンを消して暑さに身をさらしながら、『自治社会の原像』、プルードン「実在社会と公認社会」の項を一応書き上げた。あとで補足するとして、明日からヴェブレン「制作者本能と産業社会状態」の項に取りかかる。ヴェブレンって、面白いけど捉え所がはっきりしない奴なんだよな。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 7月 9
『自治社会の原像』、ヴェブレンの「制作者本能と産業技術状態」について途中まで書いた。ヴェブレンのいう「本能の汚染」はルソーのような自然と社会のニ元論ではなく二重論だと思う。自然と社会の共存相剋。そこがあらゆる近代的思考が捉え損う所なのでは…近代の呪縛を離れると忽ちそれがわかる。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 7月 13
夕立がやってきて涼しくなったので、仕事をやめて、飲みはじめた。涼風良酒。『自治社会の原像』、日本の全体社会は「社会」であるとともに(ほんとは「社会」ではなく、なんだけど)「世間」であるということ、その項を書き終えた。日本には市民社会なんてなくて、世間としての大衆社会があるだけ。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 7月 23
『自治社会の原像』の「人民と常民」の項を書きつつ改めて思ったのだが、左翼革命派が福祉国家路線に転換したのは、ほんとは何が契機だったの? 俺らがやっていた60年代、旧左翼も福祉国家否定・プロレタリアート独裁(それは「自己責任」だろうが!)だった。今は新左翼も専ら自己責任論批判かよ。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 7月 24
『自治社会の原像』を書く上で柳田國男と家永三郎の対談を読む。戯画的なまでに対蹠的に「目に一丁字しかない者が世の中を動かしてる」と「自覚的な思想こそが社会を変革する」とが対立。僕も若かった60年代には、レジストしつつも結局家永の方に与してたわけだよな。反省しろよ、俺らの世代みんな。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 7月 26
『自治社会の原像』、権藤成卿の社稷社会の項ほぼ書き上げたが、どうも現代的意義へのもっていき方がうまくいかない。権藤の発想を原理に遡って理解してもらうために原始儒教の思想を述べたのだが、これでかえって現代との距離が開いてしまった感じ。先にイエ社会の縁約原理について書いて再度挑戦。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 8月 4
『自治社会の原像』、 社稷社会の項、やっぱりこだわって、吉本隆明、渡辺京二、久保隆、村上一郎などの権藤成卿論をあらためて拾い読んだ。村上一郎をのぞき、近代批判はやっていても、結局、近代の発展としてしか次の展開を考えていないのではないか。自分もそうだったけど…そこが根本的に違う。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 8月 6
いま実在社会(ソシエテ・レエ―ル)は公認社会(ソシエテ・オフィシエーレ)に対して閉じられなくてはならず、それによってこそ他の実在社会に対して開かれることができるのである。いま書いている『自治社会の原像』で、この命題をはっきりと掲げることにする。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 8月 17
『自治社会の原像』第3章「日本の実在社会のありか」、書き終えた。これから推敲に入る。
権藤成卿『自治民範』結びのことば、「他に依頼するの心が、世界大乱の源である、自治に如(し)かんや、自治に如かんや」これは決して弱者切り捨てではない。正しい自己責任論が唱えられるべきである。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 8月 19
9月に入って『自治社会の原像』の第3章を書き始めた。今日は、社会の起源に関連して、動物の進化系統樹の二大枝の尖端である霊長類=人間と膜羽類=蜂・蟻がいずれも社会性動物なのは何故かという興味深い問題を書こうとしたのだが、どうしても思弁的になってしまい、うまく本旨を伝えられない。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 9月 3
朝の散歩。久しぶりに明るい朝。背筋を伸ばしたユリノキが朝日を浴びて葉をそよがせている。昨日、脱稿間近の『自治社会の原像』を執筆依頼した東洋書店が出版を断ってきた。経済的理由でも内容の問題でもないという。政治的人格否定。立腹以前に呆れちゃう。どう対応するか、歩きながら考えてしまう。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 9月 11
『自治社会の原像』、花伝社から出してもらえることになった。やれやれ。社会再生のために、自然社会=実在社会=本能に導かれた社会に戻って社会を再構築するための社会哲学を探求。コント、テンニース、バーク、プルードン、ヴェブレン、権藤成卿、柳田國男、梯明秀、今西錦司、伊谷純一郎、清水博…
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 10月 4
『自治社会の原像』初校校正刷りの著者校正を終えて、返送した。結びの部分など何か所か加筆した。社会の旧くて新しい概念を提起することが目的だが、どこまでわかりやすく語れたかどうか。近代の終わりにあたって、根本的に見方、考え方が変わらなければならない。それは、何よりも「再生」なのだ。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 11月 26
『自治社会の原像』帯キャッチ→ 近代社会の底に息づく「実在社会」の原理と生命力 バーク、プルードン、ヴェブレン…柳田國男、権藤成卿、今西錦司…ヨーロッパと日本の近代思想の中から脱近代の自治社会像を再発見し、現代の生命科学、進化論、場の理論から基礎づけ直す。再生の社会哲学を求めて。
— 大窪一志 (@neuemittelalter) 2013, 12月 16