『フランス映画どこへ行く』がもたらす予感

4月に出版した『フランス映画どこへ行く』は、おかげさまでご好評をいただいており、書店様からの追加注文も順調に届いています。『週刊文春』6月2日号の「私の読書日記」では、あの鹿島茂先生に取り上げていただくなど専門家の方にも評価していただき、まったく嬉しいかぎりです。

この本は花伝社にとっても大きな意味を持つ1冊となりました。いままで弊社は、社会問題を中心に「問題提起」「告発」といったトーンの本を多く出版してまいりました。もちろん今後もそういった出版が主軸であることは間違いありませんが、文化・芸術ジャンルでの出版もより広げていきたいという希望をかねてよりもっていたのです(社名からもお察しいただけると思います)。そのジャンルで何点か出版実績もあるのですが、特に今回は、フランス映画というかなり絞り込まれた領域であること、著者の林さんにとっても初めての単行本ということで、われわれのような決して体力のあるとはいえない出版社にとっては、手探りの部分が小さくない出版となったのです。

今年初め、新年最初の仕事として林さんの原稿を読んだときの感動は、いまでもありありと思い出せます。そこには、著者のフランス映画に対する汲み尽くせぬ愛情とそれゆえの鋭い問題意識が溢れており、何より門外漢の耳目を引くだけの風通しの良さが備わっていたのでした。このような原稿に出会えたとき、つくづくこの仕事をやっていてよかったと思えるものです。その後は担当者(私です……)の力不足や3.11震災の影響などもあり、当初の予定から遅れてしまったものの、なんとか出版にこぎつけることができました。フランスはパリ在住の林さんとのやりとりは、当初思っていた以上にドキドキ・ひやひやの連続でした。最初はメールで済むだろうと甘く見ていたのですが、やはり紙ベースでのやりとりが必須となり、途中で紛失してしまうこともしばしばという海外便でゲラを送るときは、それこそ手紙を詰めたビンを大海に流すような不安を覚えたものです。

『フランス映画どこへ行く』の素晴らしさは、冒頭の鹿島茂先生をはじめ、少なくない人数の方に各種媒体で取り上げていただいておりますので、そちらに譲ることとします。ここでは、担当者として心に残ったことをひとつだけ紹介させてください。

この本の大きなセールスポイントはフランスの映画関係者への著者によるインタビューなのですが、著者は取材を通じて、彼らが口を揃えて言う「ユニヴァーサルな映画」に、フランス映画の進むべき道を見出します。「ユニヴァーサルな映画」とは、「ローカルな文化に根差した物語が、結局は国境を越えて世界の観客の心を打つ」と本書では説明されます。彼の国のフィルムメーカーたちがこぞって尊敬するのが、あのきわめて日本的な小津安二郎であるように、自分の足元を徹底的に掘り下げるという行為こそが普遍性を獲得するのだ、ということだと思います。

いま、世界は「グローバル」という名の均質化・平準化の圧力に覆い尽くされています(本書ではこの文脈で「インターナショナル」という言葉が使われています)。それがもたらすものは時に効率を劇的に向上させたりもしますが、私たちから固有の何かを奪い去り、生身の人間を記号化し、個の喪失を加速させているように思えてなりません。

優れた作品は、必ず受け手にシンクロニシティをもたらします。時代も場所もまったく自分と無縁な場所で作られた作品が、何よりも自分自身の気持ちを代弁している――こんな体験は、映画でも音楽でも小説でも、作品と真剣に対峙したことのある方なら誰でもお持ちでしょう。それはグローバルな同調圧力とはまったく異質の、きわめて個人的で親密なはたらきかけというかたちでやってきます。作り手自身が自分に正直に向き合って作り上げた作品は、固有の物語を生きようとする個に対し、時に励まし時に突き放しながら、世界への扉を開く力をもたらす存在となっていく。そのような作品との出会いを「幸福」と呼ぶことは、少しも大げさではないように思います。

巨大ビジネスとして、今やグローバルマネーなしには成立が困難な映画産業の内側にあって、かつての芸術大国のフィルムメーカーたちは、自分たちの足元をしっかりと確かめる営みを自覚的に積み上げています。遠くない将来、またフランスから、世界中に深い影響を与えるような「ユニヴァーサルな」傑作映画が生まれてくるような気がしてならない――読後、そんな幸福の予感で満たされる本が、『フランス映画どこへ行く』なのです。

(佐藤)