行政の態度

通り雨の合間を縫って、印刷所のTさんが新刊を車で持ってきてくれた。新しい事務所はエレベーターもあるのだが、数段の段差があるので台車で本が運べない。新刊が入ってくるときは、前の事務所同様、全員で階段を昇り、本を2階の事務所へ運ぶ。月に3、4冊のペースで新刊が出ているので、なかなか良い運動にもなる。

ここで梱包のざら紙を開き、生まれたての新刊の「顔」を初めて拝むわけだが、ときめいてばかりもいられない。製品としてきちんと完成しているか、間違いがないかをチェックできる最後の機会でもあるからだ。スタッフ佐藤が手をあらためて、「この瞬間がやっぱり一番緊張するなあ」とつぶやく。感慨はすこし横へ置き、冷静にチェックをする。「オーケー!」という佐藤の声で、スタッフ油井が本を新刊登録する。これで新刊を無事に読者に届けることができるのだ。

今日できてきた本は、『水俣の教訓を福島へ 水俣病原爆症の経験をふまえて』。花伝社のブックレットでも出している原爆症認定訴訟熊本弁護団が、福島第一原発の事故をうけて、水俣での経験を生かせないかと専門家が集まりシンポジウムを開いた、その記録である。とにかく早急な地域住民全員の悉皆検査と、情報を隠さない、被害をありのままに認める、ということが強調されている。まもなく書店に並ぶので、その調査方法や手法は本書を手にとってぜひ読んでいただければと思う。

3.11から早くも5ヶ月が経とうとする。出版界全体でも震災・原発関係の本の刊行ラッシュで、書店員の方はちょっと多すぎ……と感じている方もいるようだが花伝社でも、3.11以降ほぼ毎月刊行している。もちろん社会の関心が高いというテーマということでもあるが、それ以上に、自分たちも分からないテーマでもっと追ってみたい、あるいはこれまで知らないことが多すぎた、というそれぞれの反省や自責の思いでもあるだろう。

老舗からはじまり、大手ふくむ中小、ありとあらゆる出版社が各社独自の知恵を絞り、にわか勉強しながらも刊行している。急いで刊行して「粗製濫造」というところもあるかもしれないが、私はこの出版ラッシュを歓迎している。問題の大きさや広さ、そして歴史的な長さに比して、これまであまりにも表面化しなかった。本をどんどん出して、議論のきっかけになればよいと思う。

目に見えない放射能の危険性を訴えるのは容易なことではない。キリストの弟子トマスは、キリストの復活を、磔にされた手に釘の穴があいているかどうかを自分で触らないと信じられなかったが、信仰無き人間というのはそのようなものではないかも思う。これまでも原発の排水からは、微量の放射性物質が出されていたが、その事実はなかなか伝わらなかった。しかし、いまは全国のお母さん方がサーベイメーターを片手に、目を光らせている。

区の放射能説明会に参加した。自然放射線の話やガン治療の話、三朝温泉……飲酒や喫煙でのガンのリスク、「汚染される前の牛乳の中にもカリウム40が50ベクレル入っているのですよ!」というような、すり替えたりごまかしているような内容だった。汚染牛肉の話では「でも牛肉1キロ6000ベクレル、100グラムで600ベクレルですよ。1キロ、毎日食べますか?」と言ったときは唖然とした。最初に区の方が「区民の方の安心のために……」と説明したとおり、区民の安全というよりも、安心のために開いたようだ。

質疑応答の時間も保護者が、「今日のお話を聞いて少し安心しました」と次々に言っているのを聞いて、逆に恐ろしいと感じた。都内でも、「さほど」高くない数値の区が、学校関係者や父母をまねいて、「もう放射能のことは、忘れてくれて大丈夫です」と事実上の安全宣言をしているのを危惧する。66回目の8月6日を迎えたが、広島市長と首相の談話にもがっかりした。命が大切ではないのか。怒りが先に立つ、8月はじめの週だった。(近藤)