世代の記憶

先日、代表の平田から「これ面白かったよ」と1冊の本を貸してもらいました。それは『メディアと日本人』(橋元良明著、岩波新書)という本で、日本におけるメディアの歴史や利用実態をまとめ、考察を加えた内容です。よく整理された歴史観と統計調査をもとにした手堅い分析で非常に面白く読めたのですが、個人的に印象に残ったのはネットメディアとの接し方による世代分類のところです。何しろ私はずばり「76世代」なもので、いろいろと自分に当てはまることがあり、納得する部分が多かったのです。
『メディアと日本人』では、「世代の記憶」についても言及されています。昔はラジオ、テレビといったマスメディアを家族揃って享受していたため、ある世代において共通の記憶が存在する。しかし今は、同じ家の中にいてもそれぞれがパソコンやケータイでSNSなどのパーソナルメディアに接しているので、共通の記憶が形成されにくくなっている――。確かにその通りで、もし自分が思春期の頃にYouTubeがあったら、家族団欒などには参加せず、ずっと部屋に引きこもっていただろうと思います。

さて、「世代の記憶」を考えるとき、私はある音楽作品を思い浮かべました。
桑田佳祐の復帰作『MUSICMAN』に、「月光の聖者達〜ミスター・ムーンライト〜」という曲が収録されています。銀行のCMにも使われていたので耳にしたことのある方も多いと思いますが、この曲では来日の光景をはじめ、ビートルズのことが歌われています。

夜明けの首都高走りゆく 車列は異様なムードで “月光の聖者達”の歌が ドラマを盛り上げる 知らずに済めば良かった 聴かずにおけば良かった 「人生はまだ始まったばかりだ!!」って 胸が張り裂けた
曲の始まりは、当時テレビで放送されたドキュメンタリー番組のことを歌っています。1966年6月29日、ビートルズは未明に羽田に到着すると、特別警護態勢のなか首都高速をパトカーに先導されて赤坂のヒルトンホテルに移動しました。ドキュメンタリーでは、4人を乗せたキャディラックが夜明け前の首都高を走る映像に、はじめは物々しいサイレンの音がかぶせられているのですが、それが突然消えると、ジョンのシャウトで「Mr.Moonlight」が流れ始めるのです。このシーンは当時の日本人に強烈な印象をもたらしました。桑田さんが曲にする以前から、首都高を疾走するキャディラックと「Mr.Moonlight」に受けた衝撃と感動を回想する何人もの方の文章を、私も読んだことがあります。
「知らずに済めば〜」「聴かずにおけば〜」のくだりは、もし彼がビートルズと出会わなかったらと思うとぞっとするのですが、ともかく桑田少年の人生がビートルズによって大きく変えられたことを物語っています。当時日本ではビートルズはアイドルグループであり、世界的な人気を誇るもののポップスターにすぎないという見方が大半を占めていました。ところが実際にやってきたのは、シャウト一発で多くの日本人の心をわしづかみにしてしまう正真正銘のアーティストであり、かつてない影響力をもった表現者だった。桑田さんがそうであったように、多くの日本人は、このドキュメンタリー番組によって英国の4人の若者が“聖者”のごとき特別な存在であることを知り、彼らに魅了されたのです。

私は、メディアを通じた世代の記憶とは、まさにこれだと思うのです。それは「ビートルズ来日」という歴史的事実のことではなく、あの首都高を走るキャディラックと突如流れた「Mr.Moonlight」の鮮烈な印象。それに接した同時代の鋭敏な感受性のいくつかが、決定的な何かを受け取ったこと。こうした具体的でパーソナルな出来事の同時多発をして、世代の記憶というのだと思います。そう考えると、世代の記憶が形成されにくくなったのは、メディアへの接し方が変化したことだけが原因ではない。むしろそれは、私たちの感受性とか想像力の問題なのではないか。
私自身反省しなければならないと思うのですが、ネット環境が整備されたことにより、何か分からないことや未知のものに触れたとき「それはネットで調べれば分かる」と、驚きや感動以前に思ってしまうことが多々あります。その後実際に検索してみればまだいいのですが、「知ったような」「見たような」気になったままやり過ごしていることのいかに多いことか。この“既視感”は、受験生が参考書や問題集を買っただけで勉強した気になっているのと似ていて、実際は何の実にもなっていません。「その気になればいつでも・どこでも知ることができる」という便利さが、「だからこの先も知る必要がない」という怠惰や傲慢に転化する速さといったら、驚くばかりです。私たちはメディアの進化によって情報収集能力を飛躍的に向上させたかもしれませんが、本当は何も知らないくせにやたらと達観してみせる、すれっからしの態度も手に入れてしまったようです。
問題はメディアに接する環境ではなく、受け取る側が既視感にとらわれない、みずみずしい感受性と想像力をもっているかどうかなのだと思います。そうした感覚を保ち続けることは、テレビの普及すら十分ではなかったビートルズ来日の頃よりも、ユビキタス環境が実現された現代のほうが、はるかに困難なのかもしれません。

「月光の聖者達」は次のような歌詞でしめくくられます。

現在(いま)がどんなにやるせなくても 明日は今日より素晴らしい 月はいざよう秋の空 “月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)” Come again , please
私自身生まれていなかったので想像でしかないのですが、45年前の日本人の多くは、「明日は今日より素晴らしい」と、まだ見ぬものに胸をときめかせながら日々を過ごしていたのだろうと思います。最後のCome again , pleaseというフレーズは、ノスタルジーでもなんでもなく、私たちが便利さの陰で失ってしまったものを取り戻そうという願いのように感じられます。
(佐藤)