押し売りされているのは誰か

先週は新刊が三冊同時にできあがってきた。二冊同時というのはよくあるが、さすがに三冊となると製作・入稿時期は慌ただしい。無事にできてきてほっとする。
そのなかの一冊、高屋肇『闇の新聞裏面史 販売店主が見てきた乱売と「押し紙」の50年』http://kadensha.net/books/2011/201111yaminoshinbun.htmlは、花伝社で出す4冊目の「押し紙」問題の本。真村久三・江上武幸『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』に続く、大阪の北摂、蛍ヶ池・豊中新聞販売店を50年にわたって続けてきた高屋さんによる貴重な証言だ。

新聞を断っても、断ってもしつこく「とにかく取ってくれ、」と粘られた経験は誰にでもあるだろう。私も「A紙取ってよ」といわれ、A紙を既に購読していることを告げると、「じゃあB紙にしませんか」と言われ驚いたことがある。この人はいったいどこから何を売りに来ているのだろうか。また別の新聞の営業の人がきて購読を勧誘され「置いていくだけだから」とC紙をしばらく置いて行かれたことがある。つい手に取ってしまうと、新聞を取ったことになるのだろうか。触らないようにした。ここまでくると「置き売り」と表現するのか、押し売りといってもいいだろう。

そんなこんなで、新聞購読というと中味に関係のない景品をつけるといって強引に勧誘する、「押し売り」のイメージがあったのだが、それを覆されたのが、花伝社で出している黒薮哲哉さんの『新聞があぶない』と『崩壊する新聞』だ。押し売りをするのは新聞販売店だと思っていたが、当の販売店がじつは新聞社から押し売りをされていた! 2割〜3割は当たり前。ひどくなるとどんどん新聞が増やされて、断っても断っても送り込まれてきて、どうにも立ちゆかなくなると「改廃」=販売店の廃業を一方的に新聞社から通告されてしまう。

本書の著者、高屋さんも毎日新聞を提訴している。それが「痛恨の提訴」であることは、この本を読めば明らかだ。まだ大阪の伊丹空港が「伊丹エアベース」だった時代。道も舗装されていなく、雨が降ればぬかるみの中を、新聞を配った。大変だったがそれでも「スクープの毎日」の紙面が誇らしく、自信を持って購読の営業をした。景品で読者を釣るのが厭で、小野十三郎が作詞した地元蛍ヶ池小学校の校歌を印刷して配って「毎日小学生新聞」を営業したりもした。それも未来の毎日新聞の読者をつくるためだ。

「新聞配達が地域貢献につながった、」という高屋さんの努力や誇りも、やがて部数至上主義にどんどん押されていく。高屋さんら販売店主たちが押しつけられる新聞紙にだんだん追い込まれていく様子が描かれる。本書の帯を飾っている、著者と毎日新聞主筆のツーショットは、痛烈だ。押し売りされているのは誰なのか。なかなか新聞が取り上げないテーマなので、本書でひとりでも多くの人にこの問題を知ってもらえればと思っている。(近藤)