【既刊紹介/戦争シリーズ1】 加藤哲郎『「飽食した悪魔」の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』 ―――共謀する医学と政治

こんにちは、営業部の白井です。
今回の紹介書籍は、加藤哲郎『「飽食した悪魔」の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』です。

本書は、第二次世界大戦下における満州で人体実験や細菌戦を実行した関東軍731部隊についてまとめたものです。731部隊が、戦時中はどのような軍事活動を行い、そして敗戦から戦後への過程でいかにしてその戦争犯罪は「隠蔽」され「免責」されたのか、またその組織の中心人物たちが戦後の日本社会に「復権」するところまでを追いかけていきます。
著者の加藤哲郎先生は、本書において言わば「探偵役」として、満州から金沢そして東京にいたるまでの「犯人」の足跡をたどり、またさまざまな新資料から証拠を拾って、戦後日本の裏側に隠された罪業をえぐりだします。
ところで、その「犯人」とはいったい誰のことでしょうか。それは「飽食した悪魔」たち、すなわち731部隊のことですが、本書のなかで特に焦点を当てて描かれるのは、細菌戦学者、実業家、医師、宗教家という四面相を持った怪人のような男・二木秀雄です。

まず「飽食した悪魔」とは、1981年に出版されて話題となった作家・森村誠一の『悪魔の飽食』(光文社カッパ・ノベルズ)に由来します。それというのも、731部隊とは「帝国陸軍一の美食部隊」であり、内地=日本国内が戦時下の貧しさに苦しんでいた頃でも、この組織では「銀シャリ」をはじめとして「ビフテキ」や「エビフライ」、さらには羊羹や果物などのデザートも食べることができたというのです。
こうした贅沢な環境を与えられていた731部隊。この組織で行われていたのは、科学者の研究倫理をはるかに逸脱する人体実験や細菌戦であり、その実働部隊で暗躍する人物こそが、戦後の医学界や出版界や政財界、さらには外交関係にも顔を出す731部隊所属の医師・二木秀雄なのです。

本書で加藤先生は、主にGHQによる日本占領期(1940年代〜1950年代)にスポットライトを当てて731部隊と二木秀雄の動向を調査していきます。その際に用いる視点が「貫戦史」と「情報戦」であり、他の731部隊研究とは異なる本書の特徴的なところでもあります。
「貫戦史」とは、戦前・戦時中における社会制度や人材・情報・資財などが戦後の冷戦体制に即して再編成されていく過程を指します。本書に即して言うならば、戦時中は大日本帝国のために創設された731部隊の医学者や実験データや軍事資料が、戦後は戦犯免責と引き換えにしてGHQ占領軍によって反ソ戦略のために利用されていく、この政治的な経路を意味します。そして「情報戦」の視点から、日本人戦犯(+実験データ)をめぐる米ソの諜報活動や政治利用、それから二木秀雄が発刊した雑誌「政界ジープ」における政治的言説の変遷などに着目するのです。
この二つの観点によって731部隊を分析することで、加藤先生は日米合作による「戦後の裏側」を指摘し、戦時体制と戦後社会の連続性を炙り出していきます。

本書は、前述した四面相の怪人・二木秀雄の数奇な生涯をたどりながら進行するわけですが、この人物を一言でいうならば、彼は「何食わぬ顔をして平然と新しい波にスイスイと乗り生きる」ような男でした。
二木はまず731部隊結核班を率い、そして敗戦になると証拠隠滅作戦を指揮します。満州から引き揚げたのちには故郷の金沢で仮本部をつくり、そのインテリジェンス担当として占領軍の情報収集や帰国隊員の連絡網の作成に注力していきます。
その後、二木は出版社の社長に転身。金沢で雑誌『輿論』を創刊し、のちに東京へ進出して雑誌『政界ジープ』を発刊します。731部隊の戦犯訴追の可能性がほぼ消えた1948年、それまで政治的中立を保っていた二木の『政界ジープ』は、反共保守・反ソ親米へと「逆コース」化していきます。そして、雑誌『経済ジープ』、娯楽雑誌『じーぷ』、厚生省医務局編『医学のとびら』などを次々に創刊し、情報網と人脈を多角的に広げていき、731部隊の「復権」を後押しします。
GHQによって日本の医療改革や衛生政策が行われる過程で、731部隊の中心人物たちは医学界や製薬業界などに復帰していき、進駐軍や厚生省の調査と委員会にも加わり、とうとう「復権」を果たしました。このことは、二木の『医学のとびら』が厚生省のお墨付きであり、また雑誌の紙面広告には医薬業界の宣伝が数多く掲載されていたことからも、「復権」の構図がよくわかります。
このように二木秀雄は、仮面を次々に取り替えるようにして混乱の時代を生き延びたのですが、しかしその根底では731部隊の「隠蔽」「免責」「復権」と深く関わっていました。業が深く、抜け目なく、そしてしたたかな彼は、戦争の宿痾を戦後日本へと延命させた人間のひとりなのです。

ここで紹介したことは本書のごく一部にすぎません。
本書は、近代戦争の末路、世界の冷戦体制、GHQによる日本の占領政策、雑誌メディアの言説史、そして731部隊と二木秀雄の人生を重層的に記述したものであり、それと同時に「戦後=民主主義」に対する批評的な捉え方を見せてくれます。また、この歴史を裏付ける膨大な資料の分析と、その解釈から導き出されるひとつの歴史像は、これまでの731部隊研究を串刺しにするような形にもなっています。
二木秀雄をはじめとした731部隊の群像劇を描きつつ、その暗い蠢きに学術的な視点から光を当ててみせた本書は、歴史ファンにとっても垂涎の一冊と言えるでしょう。政治学の知見と歴史研究の成果があますところなく詰め込まれた圧巻の一冊、戦争をふりかえるこの季節にじっくり読んでいただければと思います。


アマゾン⇒ https://www.amazon.co.jp/dp/4763408097
版元ドットコム⇒ http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784763408099


週刊読書人ウェブに掲載された書評
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