【既刊紹介/戦争シリーズ②】森永玲『「反戦主義者なる事通告申上げます」ーーー反軍を唱えて消えた結核医・末永敏事』』

こんにちは、営業部の白井です。
今回は戦争シリーズ第二回ということで、ジャーナリスト・森永玲さんによる『「反戦主義者なる事通告申上げます」』を紹介します。
本書は、大正時代から昭和前期にかけて無教会派のキリスト教信者として反戦を貫いた結核医・末永敏事の伝記です。また、敏事と関係があった内村鑑三賀川豊彦などの信仰実践者たち、そして名もなき人びとの証言や生き様から紡ぎ出された「近代日本のキリスト教精神史」として読むことができる一冊でもあります。

末永敏事をご存知の方はそう多くないと思われます。彼は学生時代に進学先の東京で内村鑑三と出会い、キリスト教徒となりました。その後長崎の医学専門学校で結核医を志し、さらにはアメリカへ渡って十年間も結核研究の最先端で活躍していました。そして、1925年の排日移民法を機に帰国した敏事は、自由学園出身の中嶋静江と結婚、故郷の北有馬村今福で医院を開業します。
しかし1933年、敏事は静江と離婚してしまいます。時は戦時体制下、治安維持法による思想弾圧が拡大しつつある頃でした。その対象は共産主義だけでなく、敵性宗教と名指されてキリスト教にまで及んでいたのです。証言によれば、離婚の理由は家族を危難から遠ざけて、敏事ひとりで反戦行動に出るためでありました。
そうして1938年の国家総動員法に伴い「医療関係者職業能力申告令」が発令されたとき、とうとう敏事は「平素所信の自身の立場を明白に致すべきを感じ茲に拙者が反戦主義者なる事及軍務を拒絶する旨通告申上げます」と、自らの信条を当時の全体主義国家にむけて主張します。その結果、特高警察に逮捕・拘留され、1945年、敏事は日本の終戦を見ることなく亡くなってしまいます。

著者の森永さんは、末長敏事の生涯を調べるため、時空のいたるところに散在する断片的な記憶を丁寧に拾い集めて、本書を書き上げられました。引用されるひとりひとりの肉声が、末永敏事の輪郭を少しずつ描いていき、それを纏め上げる森永さんの手によって、今まで知られることのなかった一人の類い稀なる抵抗者の姿が像を結んだのです。
過去の歴史や人物を知ることは、現在の足元を確かめることにつながると思います。時間はただ過ぎてゆくのではなく、私たちの社会に堆積しているのだとすれば、森永さんも危惧している昨今の政治状況を考えるためにも、戦争の時代を知り、そして末永敏事の生き様を知ることは決して無意味ではないはずです。
時代や社会に流されず、自分が信じる大事なことは一体何なのか。自分は信じたことを行なうことができるのか。本書はそう問いかけてきます。

「反戦主義者なる事通告申上げます」 ――反軍を唱えて消えた結核医・末永敏事

「反戦主義者なる事通告申上げます」 ――反軍を唱えて消えた結核医・末永敏事