『オルタナティブロックの社会学』ついに刊行!

当初の予定より少しずれこんでしまったのですが、4月4日取次搬入で無事発売の決定した新刊『オルタナティブロックの社会学』。この本は本当に、ポピュラー文化研究のメルクマールとなる記念碑的な一冊であり、研究者のみならずすべてのロック音楽を愛する人に読んでもらいたい、絶対的な自信作に仕上がっています。
改めて玉稿をくださった著者の南田先生に感謝申し上げるとともに、一人でも多くの方にこの素晴らしい本をお手にとってもらうべく、今回はこの本のお話をさせていただきます。

表題に「ついに」とあるのは、この本の出発が3年前にまでさかのぼるからです。担当編集である私が初めて著者の南田勝也先生(武蔵大学社会学部教授)にお目にかかったのは、2011年も終わりに近づいたころ。仕事柄大学の先生とお会いすることは多いのですが、ロック研究者(ジョン・ロックではなくロックミュージック!)とはどのような感じの方なのだろうとドキドキして研究室を訪ねると、同じロックを愛する者としてすぐに嗅覚が反応し、初対面にもかかわらず、打ち合わせと称する熱いロック談義に花が咲きました。
南田先生がそこでおっしゃったのは、従来の音楽史観を覆す画期的な構想――いわゆるディケイド史観とは完全に異なる、1990年を境としたロックの質的転換を軸に据えたロック論の展開でした。
私はその構想に興奮を覚えながら、ロックリスナーとして「60年代はこうで、70年代はこうなって……」とディケイドでとらえる習慣が身体化していたことや、個人的な嗜好もあってオルタナティブロックとは何なのかが今ひとつぼんやりしていたこともあり、果たしてどんな本になるのだろうと、期待と不安が入り混じった気持ちになったことを思い出します。

その後先生から章ごとに原稿が入ってくるようになると、先生がこの本で書こうとしていることの全貌が次第に見えてくるようになり、私は、これはとんでもない前人未到のロック論になるぞ!と武者震いを覚えるようになりました。
音楽ジャンルとしての「ロックンロール」が、ある種の思想や精神性を表象する「ロック」に転じたのは60年代中盤。先生はこのポイントを、「ボブ・ディランがエレクトリックギターを持ってステージに上がった瞬間」と明確に定義されます。そこから70年代にかけてはロック黄金時代で、数々のロック伝説が確立されますが、パンクの登場によりロックは死を宣告されます。ただこれはこの先も繰り返さる「ロックは死んだ」という、それ自体がロック伝説の一部であり、80年代にMTV時代を迎えると、ロックは死ぬどころか産業として肥大化し続けるのでした。
しかし1990年あたりのロックの変化=オルタナティブロックの登場は、これまでの「死亡宣告」とは根本的に異なるものでした。オルタナティブロックの登場により、単にロックは新たな新陳代謝の機会を得たのではなく、質的な転換を迎えることになったのです。
実はここまでの話は、先生の前著『ロックミュージックの社会学』(青弓社)に詳しく書かれていますので、ロック研究の古典として定評あるこの本もぜひ一読をおすすめします。

今回の『オルタナティブロックの社会学』は、このオルタナ登場以降から現在、1965年以来伝説を紡いできたロックが「転じて」からの流れと歴史的評価が内容の中心になっています。
本書はまず、カート・コバーンのエピソードで幕を開けます。偶像崇拝を拒絶しながら、皮肉にもロックのラストレジェンドと化してしまったカートは、まさに質的転換の端境期を象徴する存在です。そしてカート以降、ロックは本格的にその様相を転じていくのですが、詳しくは本書をお読みいただくとして、ここでは本書ならではのアピールポイントを紹介していくことにします。
まずは分析の切り口の多様さです。本書には、いわゆるムーブメントの変遷をアーティストのパーソナリティを追うことで読み解くという音楽雑誌的手法を大きく超えた、様々なアプローチの考察があふれています。サウンド面や歌詞といったレコードされる直接的要素はもちろん、機材やPAなどの音響面、ヒップホップやハウスなど他分野との関連性、野外フェスの隆盛、メディアの変遷、産業的側面などあらゆる角度から緻密にロックを検証していきます。そしてそのどれもが、印象批評とは完全に一線を画す社会学的手法に貫かれており、ともすれば思い入れに傾きがちな音楽テクストにおいて、この点は本書の大きな特徴として強調しておきたいと思います。それでいて、南田先生のロックに対する愛情と熱い思いはしっかり伝わってくるのですから、先生が研究者としてだけでなく、一人の文筆家として確固たる存在であることの証左となるでしょう。
また本書は、洋楽発の動きを追うことで論を組み立てながら、日本のロックシーンについても十分な言及がされていることも特徴です。長きにわたり、「日本に本物のロックはあるのか?」という問いが音楽ファンや関係者から発せられてきましたが、本書を読むことで、オルタナティブロックの興隆とともにこの国にもロックシーンが確立したことが、確かな手応えとともに実感されるでしょう。

そしてこの本の素晴らしい装丁についても一言。
今回装丁をご担当いただいたのは、ご自身も熱きロックファンであるデザイナーの三田村邦亮さんで、学術書としての格調の高さと、カルチャー本としての「かっこよさ」を両立させた、これ以上相応しいものはないと思わせる仕上がりとなっています。具体的なアーティストや曲名のイメージとともにプレゼンされたこのデザインには、南田先生も担当編集も感激のしっぱなし、3者間のやりとりは文字通りセッションのような興奮の時間でした。本書には、――「波」から「渦」へ、「表現」から「スポーツ」へ――というキャッチコピーがついていますが、「閃光」というイメージでそれをデザインとして具現化してくださった三田村さんに、この場を借りて改めてお礼申し上げます。三田村さん、本当にグッジョブです!

私はこの本を、特に「最近の音楽はつまらなくなった」と嘆く“かつての”ロックファンに読んでもらいたいと願います。
そう、確かに60年代や70年代のロックスターたちが繰り広げたような音楽シーンは、今は存在しません。しかし、オルタナティブロック以降、かつてのあり方とは違うかたちでロックは着実に進化を続けており、それは、黄金時代のロックを聴きつくして耳が肥えていると自負している人たちにとっても、十分に聴く価値のあるものだと思うのです。
何より私自身が、「最近のロックはつまらなくなった」という諦念を抱えて南田先生の研究室のドアをたたき、先生と仕事をともにする中で、現在進行形のロックミュージックにもう一度夢中になっていきました(余談ですが、夢中になりすぎて15年ぶりにバンドを始めてしまう始末です)。
とにかく、このような凄い本が弊社から出版できることに喜びをかみしめながら、一人でも多くの人にこの本が読まれるよう、なんとか魅力を伝えていけたら、と思います。
つい先日来日していましたが、あの最古参のロックバンドが名前に冠しているように、ロックとは転がり続ける石のようなものだと思います。たとえその性質が決定的に変わっても、誕生からこれまで決して歩みを止めることがなかった、人生を掛けるに値するほどの素晴らしき音楽文化、その研究の到達点を、あなた自身の目で確かめてください。
(佐藤)

オルタナティブロックの社会学

オルタナティブロックの社会学